悪性腫瘍と生きる隊長、その後(画像19枚)
5月半ばのクリーム隊長の腫瘍発見からその後~本日2012/09/03までの様子をUPします。
隊長の具合は良くありません。
でも、まだ頑張って生きています。
6月に車を買ってもらった隊長。
車大好きで、6月は本当によく出かけました。2ヵ月半で5000km近く走りました。
社長席(後ろの席)でくつろいで、本当に嬉しそう。
海よりも山に行くことが多かったです。
時節柄あまり人のいないところで、と考えると、山や湖のほうがゆっくりお散歩できました。
隊長: よいしょっと
隊長: ぼく、6月の終わりにヘアカットしてもらったんだー。具合が悪くなる前に、早くカットしようって、予約を早くしてもらったんだって。僕、こんなに元気なんだけどなぁ?
隊長: 僕の車、かっこいいでしょ~。いちど、運転席に座ってみたかったんだ。
隊長: どう?ぼくの車。これでいつでも好きなところにいけるんだよ。嬉しいなぁ。
隊長: でも車は、社長席にかぎるね!
・・・と、6月いっぱいはまだまだ元気もりもりでした。
でも7月に入ってがくんと調子が悪くなりました。
右の目の横にできた腫瘍は右の頭全体に広がり、口の付け根から口の中に侵出してきました。
奥歯で腫瘍を噛んでしまい、時々失血死するのではないかというくらい出血するようになりました。
ヘアカットを7月の半ばで予約していましたが、6月中に早めて正解でした。
このころ、10年住んだ大田区から、目の前にお庭のある一軒家の実家へ引越しをしました。
シルバーの車を買って失敗と気付いたのは、7月の七夕様の頃。
窓から顔を出して風を感じるのが好きだった隊長、口から常に血や血の混じったヨダレがダラダラ。急成長して侵出してきている腫瘍を噛んでしまうのです。
時々車は「いったいどんな事故を起こしたんだ」というほど、血液がダラダラとドアにくっつくようになり、どこもかしこも血だらけになりました。
病気の犬の看護には、黒い皮のシートと黒い車体が良いです(^-^;)
腫瘍は口からはみ出て、常に血液やら浸出液やらを出しながら異常な臭いを放っています。
はたから見ると、内臓が口から飛び出ているように見えたと思います。
感染症を起こして口臭が強くなってから、隊長は食事ができなくなりました。7月の終わり頃です。
このまま感染症で衰弱死が自然な動物の死のかたちでした。
何をもって犬の尊厳死とするのか、とても考えさせられました。
食べることを動物がやめるというのは、死を意味しています。
自ら食べることをやめた隊長の選択。そして「治らないのに辛い治療を受けさせながら死なせるよりも、痛い思いをさせずに自然に死なせてやりたい」と思ってきた半面、具合が悪くなりぎりぎりになって「出来ることをせいいっぱいしてやりたい」とも思う飼い主の心の葛藤。
結局、病院で2週間持続する抗生物質の注射を打ってもらいました。7/27日のことです。
注射はすぐに効いて、隊長の食欲が戻りました。実に1週間ぶりの食事です。
注射をしてもらった日、温熱療法という治療をしてもらいました。腫瘍に光を当て、腫瘍が死滅する温度まで熱を与え、腫瘍を壊死させるという治療です。1週間に1回を4回行って1クールの治療となります。
その時の先生のご様子では、クリームには効かないだろうということでした。さらに、1クールの治療(4週間)まで、命がもちそうにありませんね、という印象でした。一度だけ温熱療法を受けましたが、翌日腫瘍が一日で3倍ほどの大きさになり、意味がないことだと分かりました。
東京の動物病院に最後に通ったのが6/1でしたから、約2ヶ月ぶりの動物病院でした。病院は実家から車で1時間と少しのところにある病院に変えました。
隊長の食事は一日に一回、夕方に実家近くの大きな公園でピクニックをしながら外で食べます。一日中ぐったりと寝ている隊長が、唯一生き生きと頭を持ち上げる瞬間です。
7月も、真夏の8月の31日間も、一日も休まずに車で公園へ連れて行きました。関東で最も暑く36度だなんだと報道される群馬館林エリアですが、大きな公園は緑も多く夕方には31度くらいに下がっていて、(東京に比べたら暑いんですがそれでも)、涼しく感じました。
雷がなって雨の日もありました。部屋ではご飯を食べないため、雨でも外に連れ出し、ラゲッジルームに隊長を移動させて後ろのハッチをあけ、雷雨の中で食事をしたこともありました。
少し涼しくなる夕方から夕暮れまでのほんの少しの時間です。最初は7時ごろまで薄明るかったのが、今では6:30ごろには暗くなり始めました。このような生活になってから、2回、満月を見ました。
↑朝主人を駅に送る時、隊長も一緒に乗ります。おうちに着いても、車から降りたがらない隊長。
こんなに車が好きだったんだ、うちは相当レンタカーするほうだったけれど、もっと早くから車を買っておけばよかったと思いました。
東京のスーパーの入り口につないでお買い物をしていると、近所のおばさんに「あらぁ、おばさんと一緒でメタボ犬ねぇ、あなた」と言われていた隊長。
6/1の時点で隊長の体重は37kgありました。
7/27に34kgに減りました。
食事を受け付けない日もあり、8/31には29kgになってしまいました。
隊長の腫瘍は頭の形を極端に変形するほど大きくなっています。
口から飛び出た腫瘍は壊死し、壊死した肉片が時折剥がれ落ちることもあります。
大きな、卵くらいの肉片が取れ、すごい出血をします。
すごい出血をするので、時々壊死を確認して、私が切り取ります。半分腐って乾いたレバーを切り取るようなかんじでとても気持ち悪いです。そしてすごい臭いもします。
母には「うわぁ気持ち悪い!」と言われますが、でも、そのままにしておくと乾いた腫瘍がひっかかってちぎれて大量出血してしまうので、仕方ありません。
憎き腫瘍ですが、これも隊長の体の一部。
なんとか精神的に受け入れられるように私は腫瘍に名前をつけました。
クリームは別名、「くーさん、くーちゃん、隊長、社長(笑)、くー吉」などと呼ばれています。
なので、腫瘍は「くー子」と名づけました。
「あ、クー子が取れた」
「あぁ大変、クー子出血!」
「今クー子手術中」
「きゃークリーム、クー子くっつけないで」
我が家の犬との異様な会話の一部です。
犬の癌に名前をつけ、それを自ら切り取る飼い主なんて、きっと私くらいだろうな(笑)
まわりの方がこの腫瘍を見ると、「取ってあげることはできないんですか」といかにも気の毒そうに言います。
取ってあげても、2~3日でまた元に戻るほど、腫瘍が成長してしまうんです、とだけ答えるようにしています。
何件も動物病院に問合せをしましたが、犬の悪性腫瘍とはそのようなものなのだそうです。切っても切っても追いつかないのです。
「何度も手術を繰り返す飼い主さんもいます、一度だけとりあえず手術を試す飼い主さんもいます、安楽死を選択する飼い主さんもいます。」動物病院にくる飼い主さんにはこの3通りなのだとか。
私は動物病院に行かない側の、第4番目の飼い主ということになりますね。無理・効果のない治療はさせないと決めたから。
そういう意味では2週間に一度の抗生物質の注射は隊長に食欲を与え、食事の摂取によって車の中で顔を持ち上げる力を与えてくれ、「車でいく?」と聞くとしっぽをふるだけのエネルギーを与えてくれるものでした。
8/31に注射のために病院に連れて行ったら、「あら、頑張ってるねぇ」と先生に言われました。「まだ死んでないんだ」と言う感じにもとれるリアクションでした。
2012/09/03日、今日の早朝の写真です。まだ、少しだけ外を歩くこともできます。
もう、ずいぶん前に片方の目は見えなくなってしまいました。
あちこちに、ごつんごつんぶつかって、よろけながら、それでも自分の意思で、まだ歩くことができます。
頑張ってます、隊長。
あと20日、2012年9月23日に、隊長は10歳のお誕生日を迎えます。
隊長、もうちょっと頑張れば、10歳になれるねぇ。
でも、あんまりしんどかったら、もうがんばんなくてもいいんだよ。
って、筋肉がなくなって骨と皮っぽくなってきた体をなでながら、隊長に話しかける今日この頃です。
みなさん、隊長のサイトを見てくださって、温かいメッセージを送ってくださって、本当にありがとうございます。お返事、すぐにできずにすみません。必ずお返事しますので、少しわたしたちに、お時間をくださいね。