カムチャツカの若者が きりんの夢をみているとき
カムチャツカの若者が きりんの夢をみているとき
メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウインクする
これは、谷川俊太郎の「朝のリレー」という詩です。突拍子もない出だしで聞く者をすぐに惹きつける魅力を持った詩です。
最近宮沢賢治の詩集を買いました。宮沢賢治は銀河鉄道や注文の多い料理店で有名です。詩はなんと言っても「雨ニモマケズ」ですね。
雨にも負けず、風にも負けず、の詩の出だしはとても有名です。改めて本を買って読んでみると、結構面白かったです。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
・・・・(中略)
ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
笑ったのは色文字の部分。強く謙虚なことは大切だけど、「みんなにデクノボウと呼ばれ」るのは嫌だなと。東に病気の子供があれば看病し、西の母を労い、南の死にゆく人を励まし、北の喧嘩をなだめ、挙句にデクノボウと呼ばれる?これじゃ謙虚を通り越して少し抜けてる気がしました。
【意味】 でくのぼう ― 【〈木偶〉の坊】
(1)操り人形。でく。
(2)気のきかない人。役立たず。また、そういう人をののしっていう語。でく。
宮沢賢治の雨にも負けずに木偶の坊という言葉が使われているのは始めて知りました。でも確か、宮沢賢治のこの詩は小学生辺りで勉強しているはずです。上に書いた谷川俊太郎の「朝のリレー」も然り。
恐らく授業では詩の朗読やなどしたのでしょう。でも小学生・中学生では、詩を味わったりその行間の余韻や意味合いを読み取るには、少し若すぎる気がしました。
私は殆ど詩を読みません。今持っているのも、ヘッセや高村光太郎、ゲーテ、O.ヘンリのなど統一性のない作家の詩集数冊があるのみです。共通しているのは作者はみな死んでいることくらいでしょう。
それでも私の周りでは、本を読むこと自体皆さんあまりしませんから、きっと本を持っているほうです。
こんなに面白いのに、残念な話です。