震災
新潟の震災があって、クリーム隊長のページに1円クリック募金のサイトをリンクしました。犬の個人のページとしてはあまり関係ないのですが、こうして公開されたメディアを所有している以上有効と思いメインのHOMEページに載せました。沢山の方に協力頂いたようです、ありがとうございました。
実は被災地への募金のコーナーをつくったのには個人的な理由があるんです。新潟に親戚がいるわけではありません。話は阪神大震災までさかのぼります。
高校時代、私の志は東京藝術大学入学でした。芸大の希望学科は十人程度しか募集人数がなく、それはそれはせまき門でした。私はその芸大入学のための予備校へ通い、そこでである女の子と知り合いました。
彼女も私も芸大への道は歩みませんでしたが、それでもお互い細々と連絡をとっていました。
私は当時カワサキのZZ-R400という大きなバイクを所有していて、とある連休に九州まで一人旅に出ました。当時住んでいた五反田から高速に乗り、九州を目指しました。
途中、阪神大震災のため高速道路が途絶えました。町はひっそりとしていて、空き地が多く、高速道路の架橋は途中で寸断していました。大変だったんだなと思い阪神地方を走りすぎたのを覚えています。
そんな私の一人旅とはうってかわって、予備校で知り合った彼女は震災の後阪神に向かいました。そして仮設住宅のある神戸の 公園へ住み込み、被災者たちを援助したのです。
かなりの期間、彼女への連絡は電話ではなく、「XX公園内」という住所へ向けた手紙のみでした。
神戸の震災直後、ライフラインの電気が通うようになったとき、大きなビルの窓に「ガンバレ」の文字を作って明かりが灯りました。 考えました、「私はなにやっているんだろう」と。
彼女が震災のボランティアに向かった理由は、就職先が定まらなかったこと、そして働けそうな就職先は彼女のやりたいコトとは遠く離れた会社だったという理由でした。
自分の希望に合わないことをするならば、と彼女は自分の労力を被災した方々へ向けたのです。
私はと言えば道楽のバイクを転がし、被災地を片目に九州でスピード違反のキップを持って帰るありさまでした。(挙句に桜島と違反キップの記念写真まで撮りました。ハズカシイですが実話です)
私はしかし、募金やボランティアに赴くことがスゴイとは思っていません。ただ、「大変だな~」と思う一方で「今の自分に何ができるか」を考え実行できる人を尊敬します。そういう人は、殆どいません 。
あの1円クリック募金を計画したサイトの運営者は業者やNPO法人などではなく、私と同じ個人です。スゴイなと思う一方、そのリンクしかできない自分を卑下しました。
今回の震災ではあのサイトの運営者と日本赤十字に少なからず振込みをしました。偽善ではなく、あの友達の行為を超えられない自分が、何ができるか、考えた苦肉の策です。
私には何もできませんが、新潟の方がゆっくりと自宅でくつろげる時が早くくることを願っています。